ちよの考察

嵐について、映画について、小説について、いろいろ考察するのが好きな私の独り言。

嫌な自分を受け入れることと活かすこと。

「嫌な自分」は、きっと誰もが持っている。

しかし、それは誰かの手によって「輝く個性」になることがある。

 

 

嵐の5人を見ていると、しばしば思う。

大事なのは嫌な自分を変えよう・隠そう、と悩むことじゃなくて、

嫌な自分の性格も受け入れ、活かしてくれる人を見つけることなんだと思う。

 

 

 

松本さんの昔のインタビューで気になる発言があった。

丁度30歳になる節目の年で、NEWS ZEROで「陽だまりの彼女」のインタビューをされたとき。

30歳になって、自分の中で良くも悪くも諦めがついたところがあって、

自分自身で自分が嫌いなところとか、そういう自分も含めて受け入れられるようになった

確かに、この作品後、本来松本さんが持っていた柔らかさ・優しさとか、子供のような天真爛漫さとか、そういう良い部分が前面に出るようになって、バラエティでのキャラクターも大分変わり、従来の「イケメン・オラオラ系・ちょっとコワい・厳しい」みたいなパブリックイメージが変わっていったように感じる。

確かに昔は松本さんのキャラクターがちょっとつかめず、幼い私にはちょっとコワい人に映っていたが、今ではその印象は全くない。

 

 

 

インタビューでの発言の背景をいろいろ振り返ってみる。

 

 

 

 

松本さんの成長発達においては、一般の人のそれとは分けて考える必要があると考えている。

というのも、彼は中1で事務所入りし、思春期の前半をジャニーズという特殊な環境で育ち、思春期の後半はすでに嵐としてデビューしたことで、思春期の大事な時期を終えてしまっている。

 

思春期の前半は、身体が変化したり、声変わりが始まるなど、大きく急速に変化する体と、それに追いつかない心や周りの扱いとのギャップに思い悩む時期である。

 

当然思春期のスタート時期やスピード感は個人差があるので、否応にも他の人との違いを意識させられる。自分が他の人と違うということを大きく意識するのもこの時期だ。

 

そういう時期に、ジャニーズという同世代の仲間が大量に集まる中で、学校以外のコミュニティーで新しい関係性が生まれていく場所は、さらに強く周りと自分との違いを大きく感じることになるのは容易に想像できる。

 

 

この時期の松本さんのエピソードで、特に気になったものがある。

 

当時、小さくて華奢で、目が大きいという容姿から、「虫みたいだ」と言われたというエピソードである。

JaponismコンのMCで話していたのが印象的だが、それ以外の場所でもよくこの話が出る。

 

どうしてそんなに昔のエピソードを繰り返すのだろう。単にウケが良いから面白がって言っているとも取れるが、本当にそれだけだろうか。

というか、そんな昔のことをよく覚えているな、と思う。

 

答えは簡単である。

それだけトラウマティックなことだったからであろう。

 

「かわいい」と褒められ、周りをあまり意識しなかった思春期以前から、体も変わっていって「かわいい」だけじゃない自分が現れ出てきたことに気づいたとき、そして周りの同年代の同性とふれあう機会が多く、周りとの違いを特に感じ始めたとき。

そして思春期は、異性を意識し始め、「カッコよくなりたい」と外見に気を使い始める時期でもある。

ある意味「虫みたいだ」という自分の容姿にコンプレックスを抱いたのではないか。

 

 

 

そんな中で、松本さんが高校に通えたのは、その人格形成において大きな意味をなしていたと思うのだ。

それはもちろん、七之助さんとか、現在まで長く続くような友達が当時出来たという意味で重要だったということもあるけど、それ以上に、反抗期のまっただ中にいながら社会に適応していくトレーニングが出来たことが大きいと感じる。

 

 

興味深いエピソードがあった。

本人は芸能界に一生身を置くつもりだったので進学するつもりはなかったが、周囲の勧めで高校に行くことになり、結果1週間で通学しなくなった。

ついに事務所にもばれ、こっぴどく叱られ、仕事が一切入らなくなり、それによって反省してちゃんと勉強するようになった。・・・というお話。

 

思春期は自立したいという意識が強くなり、親に反抗したり、素直に言うことを聞かなくなったりするいわゆる「反抗期」でもある。

「本当はこんなことしたくない」「でもしなくちゃいけない」という葛藤の中で成長する。

松本さんも、おそらくそのトレーニングを高校時代に出来た。

「自分は高校なんか行きたくない」「でも行かないと仕事できない。今頑張らないといけない」「自分の行動で周りに迷惑をかけることになる」「今頑張れば将来にきっと役立つ」そんなことをいろいろ考えながら、過ごしていたんだろうな。

 

 

 

しかし卒業後も、松本さんの「反抗期」は続く。

嵐自体は伸び悩んでいて、思い描いていたような先輩グループのような活動は出来ていないことで、不安があったと、ビビットの対談で語っていたのを思い出す。

将来への不安。

思い通りにならない人生への不満。

未だ確立されないふわふわした自分のキャラクター・アイデンティティへの不安。

理想と現実の自分との差への不満。

そういった様々な苦しみに襲われていた時期だと思う。

 

その不安や不満に対し、「尖る」という形で立ち向かわないと、おそらく潰されてしまうと感じていたのだろう。

18歳~20歳にかけて。

 

いわゆる松潤の「遅すぎるキャラ替え」の時期である。

 

 

 

そういう時期の松本さんにとって、「嵐」が受け止め先としてあったのは、相当大きいことだったのだろうと思う。

2002年の雑誌でのインタビューがそれを象徴している。

上は果てしなく、キリがない。敵はたくさんいますよ。

(ー味方は?)

4人だけ。

嵐の他の4人は唯一信じられる。自分を受け止めてくれる。一緒に歩いていける。

そういう存在と出会えたということは、本当に希有なことであり、うらやましく思う。

 

 

2004年に歌った「La Familia」でも、それは語られている。

5年がたって一人じゃないんだと 日々感じながら歩いてる

とか

そのとき誰がそばにいるだろう? きっと5人でいるだろう

そこまで確信できるようになったんだと。

 

 

 

La Familiaの歌詞は、成長した松本さんの考え方が良く出ていて、何度も聴いた。

不安を抱えながらもひたすら走っていた時代。

そこから5年たって、自分が分析できるようになって、例えば人を信じられないときは周りが見えていないときなんだ、とか。

毎日楽しみながら、周りに感謝しながら仕事しよう、と。

自分の道は自分で選んでいこうと。そしてそこにも自信と確信を持っている。

最後に「俺の足は地に着いている」とつぶやくように繰り返していて、そういう自己暗示をかけて、常に自分の立ち位置を把握して、自分というものを見つめているんだと、そういうことが出来るようになったんだと、そういう風に読み解ける。

 

 

尖らないと自分を保てなかった時代から、徐々にその身につけたとげをとっていって(=それをなくしても自分を保てるように成長して)、

角が取れたのがアラサーから現在にかけての松本さんなんだろうな、と思う。

余計な装備を落として、本来の姿が見えたというか、

自然な姿というか、

特に意識しない時に現れる自分というか。

 

 

 

装備を落とす過程では、当然自分の嫌な部分も露わになることが生じる。

ただ、「そういう松潤も良いね」と受け入れて、

かつ、例えばちょっと天然な言動とかをツッコミで笑いに変えてくれるなど、「活かして」くれる人が周りにいたからこそ、装備を落とすことが可能だったのだと思う。

 

その人たちこそ、松本さんにとってはだったんだと思う。

 

 

 

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ついでに。

心理学の世界では、アクセサリー(特にボディピアスなど)や刺青を多く入れる人の心理状況として、一つ「自分にコンプレックスがある」ことが挙げられている。

(それ以外に、当然「自分を良く見せたい」とか「自己表現する手段」「決意を表す」などもあるのだが)

 

一時期松本さんが好んでつけていたアクセサリーの類いは、自身のコンプレックスから来るものなのではないかとずっと思っている。

アクセサリーによって自分を守る、というか。そういう心理効果があるらしい。

その理論で行くと、徐々にそういうアクセサリーも減ってきた松本さんの今の姿は、まさに鎧を落としていった過程、コンプレックスや嫌な自分も受け入れられるようになってきた過程をよく象徴しているようで、納得できるのである。