中二病とラップの話。
振り返って思う。
私は明らかに中二病だった。
そして、中二病を周りより早く発症してしまった。と。
小学5年~中学2年くらいにかけて、
周りの子たちが幼稚に見えて仕方が無かった。
小説や新書を読み漁り、ちょっと難しい言葉なんかを好んで友達に使ったりして、「それどういう意味?」なんて聞かれるので悦に入っていた。
男の子がゲームやアニメにはまり、女の子がアイドルにはまる頃、そうした流行に乗ることをかっこ悪いことだと思い軽蔑していた。
インターネットで知識武装し、大人も混じって討論するようなチャットで、明らかに自分より年上の人に対して論破を試みていた(今となっては中二病以外の何物でも無い)
周りの子が聴く、流行のJ-POPやアイドルソングは「かっこ悪い」と思い、洋楽やゴリゴリのHIPHOPを好んで聴いては、カラオケで「邦楽分からない、洋楽は入ってないの?」とか痛い発言をしていたものである。
そんな中でも、櫻井さんの書くラップは痛快でテクニカルで、中二病心にも響く詞だった。
親しみを込めてここから先の呼び名は「翔さん」にしよう。
「自分は恵まれていない、周りは自分の凄さを分かってくれない」みたいな、いかにも中二病の思考回路の中で、特に響いたリリックがある。
Anti Antiだ。
この曲は2004年、2006年、2007年に披露され、DVDにも収録されている。
出だしから中二病心をくすぐる。
”嵐?興味ないっすね”
”ジャニーズでHIPHOPっつうのもねぇ?”
という心ない台詞。おそらく本場のHIPHOPシンガーやそのファンからの反応を表すものだろう。
ラップを取り入れた斬新なデビュー曲は、当時はかなり先鋭的だったのは間違いない。
その一方で、その状況をうれしく思わない人も当然いただろう。
HIPHOPのゴリゴリのファンほど、「こんなのをラップとかHIPHOPとか思われたら、たまったもんじゃない」「ラップを馬鹿にするな」「中途半端なことをするな」というように思うのも無理はない。
翔さんの反論が痛快である。
「こんなのはラップじゃない、HIPHOPのフィールドに乗せるな」という批判には、
自分でリリックを書いて、
しかも結構な王道のライムで固めて、
翔さんしか書けない「アイドル」で韻を踏んで、
途中でビートボックス的なパフォーマンスを入れることでHIPHOPのフィールドに乗り込んで。
全部ちゃんとやって、批判を遮った。
後に書かれた「Hip Pop Boogie」の方では、それでもHIPHOPのフィールドに乗せられることを嫌う人に向けてか、自分のフィールドは「オリジナルのHIP”POP”だ」と、完全に批判を退けてしまう。
「アイドルがラップやることに納得できない」という層には、
同じフィールドで戦わないで、あえて「アイドル」だから、という立場でマウントを取った。
“How many girls did you get? 俺はこんだけ人数いるぜ”
“たかがアイドル風情がタイトル奪い取る 最速で奪い取る”
「じゃああなた方はこれだけの女の子のファンを獲得できるんですか?(まあ、私にはこんなに人数いるんですけどね)」
「じゃああなた方はチャート独占したり、記録樹立できたりするんですか?(まあ、私たちはこんなに早くチャート席巻してみせますけどね)」
この論破の仕方が、とんでもなくかっこいい。
①同じフィールドに立って、相手と同等にやり合える力・技術があることを示して、
②それでも批判するなら、相手が批判するもの(例:アイドル)でもって相手より勝ることを整然と説明する
この2部構成をやられたら、もう勝てない。
HIPHOPの中のラップの大事な要素に、バトルがあると思う。
やっぱりバトルは観てて楽しいし、ラッパーの本当の技術・能力が分かるから。
バトルの中のdisはラップの中でも重要な要素だから、それを翔さんがゴリゴリに使ってるのは、やっぱり翔さんはHIPHOPを大好きで、ちゃんと分かってる人だな、と思わせられる。
同時に、ラップで自己紹介するときの"レペゼン"も、翔さんは良い感じで取り入れている。「アイドル」もそう、嵐を紹介するラップにしてもそう。
翔さんの書くラップを否定する人ほど、HIPHOPやラップの文化を分かっていない人だと、私は思っている。
とにかく、翔さんのラップは良い。
痛快である。
選ぶ言葉が、もう彼しか使わない言葉ばかりだし、
ライムはスコーンと決まるし、
いろんなHIPHOPを研究して刺激を受けて、自分の曲の中で試してくるし、
批判に対してもちゃんとアンサーして論破までしてくれる。
論破したい年頃の中二病患者には、多分翔さんのラップは良く効いたのであった。