ちよの考察

嵐について、映画について、小説について、いろいろ考察するのが好きな私の独り言。

アイドルと人間味の話。

2019/2/20

 

相葉さんを観ながら思うこと。

 

 

相葉さんって、年齢を重ねるほど魅力が増してると思う。

 

 

正直、最初に嵐を知った頃と比べて、相葉さんの印象はかなり変わった。

10年前は宿題くんで奇想天外な企画をやってた印象が強い。

当時の自分の年齢のせいもあるかもしれないけど、「面白くて笑顔が似合うお兄ちゃん」って印象だった。

 

 

時を経て、俳優ではしっとりした家族ドラマや人情劇がよく似合うし、モデルとしては他の人には難しいちょっと奇抜なファッションも合わせられて、メンバーが並んだ時にアクセントになれる。歌はこんなに上手かったかと思わせられるくらい、いろんな曲調を歌いこなす。

バラエティはもとの楽しく明るいイメージも残しつつ、さらに気遣いや温かさを添える役割が増えたなと思った。

相葉さんが見せる温かさ、そしてそれを周りに波及させられる力は、まさに武器だと感じている。

 

 

よく「恋人にしたいランキング」で上位に挙がるのは何故だろうと考察することが多い。

そのすらっとした出で立ちや髪型など、スタイルの面では当然素敵であるが、真の武器は「人間味」なのではとしばしば思うのだ。

 

 

偶像たるアイドル、ともすれば異世界の住人となってしまう中で、相葉さんには何故か同じ世界を生きる人間だ、と感じてしまうのだ。

それが、恋愛対象として捉える(そして恋人となれば楽しいだろうと予感させる)ところに繋がっているのかな、と。

 

相葉さんにはどこか影が見える。

晴れ舞台の後ろに、私たちには絶対に見せない裏があることを予感させる

ネガティブな意味ではなくむしろそれが人間味だと思うのだ。

その見せない部分に偶像ではない「人間」が生きていることが予感できるから。

 

何もかもがさらけ出すのがいいこととも思えない。偶像は偶像として完璧に作り上げ、それに合わないところは見せなくたっていい。

それが完璧に成せるのは、さすが芸能人だと思うし、それが出来るから芸能の世界に残ったと思う。

 

そういう意味では、相葉さんはどういう形であれ芸能の世界で生きることを約束された人だなと思うことがある。

 

別に偶像として生きない選択もある。表舞台にいる自分が真の自分という場合。(松本さんなんかはそういうタイプだと思ったりする)

ただその場合、同じ世界に生きる人間であることを感じにくくなる人もいるだろう。

 

 

相葉さんはきっと気遣い屋さんだ。

誰も傷つけない方法、自分の言動が人の感情に与える影響を自然と学んでいる。

でも無理に気を遣おうとしている感じはない。

 

しかし何か抑圧されている感じはどこか感じられる。

私にとって、スッピンデジタリアンでの暗闇で頭を抱える姿や、しやがれでパラパラ漫画に書いた悩めるイラストなどが、ずっと心に引っかかっている。

そういう「闇」が時々見える

抑圧された裏の自分が不意に辺縁を見せる

 

 

同時に、ものすごく努力家だと思う。

ダンスを覚えるのが遅いという話がよく出るが、努力型の人間なんだろうなと思う。

PVのメイキングでも休憩中もずっとダンスや歌詞を練習しているのが印象的。

 

 

こうした特徴は人間的で、少なからず一般の私たちも持っている面だと思うのだ。

人には見せたくない自分がいる。

いつも何かに思い悩む。

人に良く見せようと気を遣う。

才能は劣っても努力でカバーする。

…そういうところが自分に似ていると思って、人間味あふれると感じて、そして好きだと感じるのだ。

 

 

生まれながらにしてスーパーアイドル。

でも人間味あふれ、同じ世界の人間であることを確信させる。

両方を持ち合わせたこんな魅力的な人、他にはなかなかいない。