青の炎~「17歳」の意味~
映画「青の炎」を観た。
地味にこういう映画好きです
(※ネタバレを含みます)
二宮さんの役者人生にとって、重要な作品と評されるこの映画。
蜷川幸雄監督による作品。
「ザ・映画」という映画を観させてもらったなぁ。
撮影のアングルとか、一瞬の暗転とか、音楽とか、あらゆる場所がそれぞれ意味を持って作られていることがよく分かって、「ああこれが一流の作る映画なんだ」と思ったりする。
ストーリーはとにかく陰鬱。
最初から最後まで心が安まる場面がなく、終わってもなお苦しい気持ちが続く。
どうしてこんな犯罪が起こされてしまったのか、それは主人公が「17歳だった」ということがなにより大きかったと思うのだ。
例えばこれが18歳だったらどうだろう。
18歳で人を殺すという、あまりにも短絡的な決断をしたとしたら、後のことを何も考えていない、馬鹿だと思われても仕方ないと思う。
18歳という、「大人の判断」を求められる年齢だったなら、この作品や主人公に対する共感は一気に冷めてしまう気がするのだ。
一方で、もし15歳だったらどうだろう。
人を殺すという短絡的な解決法に至るのは、まああり得るかもしれない。
一方でこの計画性はちょっと現実味がない。17歳の限られた知識を絞り出しての、あの「完全犯罪もどき」だったので、それが15歳となれば一気に現実感がなくなる。
そういう意味で、17歳は非常にミソである。
ちょっと考えれば、例えばもうちょっと法律を調べて母親を説得するとか、妹が15歳になるのを待って、完全に義父との関係性を断ち切るとか、そういう別の解決策を持てたかもしれない。
単純に時が過ぎるのを待つという選択肢だって十分良い方法だったと思うのだ。
でもそれが出来ないのが17歳らしい。
今生きているこの瞬間が、彼にとってすべてであり、未来を想像する能力がまだちょっと足りていない。
一番単純であり、そして一番愚かである、人を殺すという解決策に飛びついて、それ以外があることが見えなくなり、盲信してしまう。
それでいて、完全犯罪を一生懸命考えるのだが、そこにも別方向からの視点が持てないためにどうしても抜け穴が出来てしまい、結局「完全犯罪もどき」にしかならない。
あまりに愚かであるが、それが17歳らしさでもあると思うのだ。
だから、この主人公にどこか共感してしまう。
またこの主人公はちょっとイタい。
秘密基地ちっくな部屋にロードレーサーの部品ぶら下げたり、実験器具を持っていたり、でかい水槽に裸で寝そべったり、自分の思いの丈を詩的にレコーダーに録音したり、ちょっといろいろイタい。
でもこれも、17歳っぽいし、17歳だから許される。
そして、この水槽やレコーダーが、最後になってあんな形で大きな意味を持ってくるとは、ちゃんと「ネタ」で終わらせないところが、ちゃんとしてるなぁと脚本に感心してしまう。
さて、この主人公はさらに愚かで、自分の「完全犯罪もどき」を隠すためにさらなる殺人に手を染めていってしまう。そのやり方は最初よりもさらに抜けが多くて、荒削り過ぎて、それで結局警察にはばれてしまうのだが・・・。
そういう流れがあまりに愚かなので、ただただ心が痛くなる。
若さ故の愚かさ。
聡明で不自由なかった普通の高校生が、家族3人での平穏な生活を求めて行った行為が発端となり、どんどん生活が崩れていく様は非常に皮肉である。
それでいて、そうやって一つのきっかけで主人公の思い描いた世界がガラガラと崩れていく様もまた美しい。
最後、主人公は自殺したことが暗示される作りになっているが、その決断もあまりに短絡的だし、17歳的である。
彼には17歳のその一瞬しか見えていない。家族3人や紀子といった、狭い世界しか見えていない。自分の描くストーリーしか見えていない。
だって17歳だから。
あまりに愚かな決断で、観ている側からすれば怒りもわいてくるのだが、それが17歳なんだと思う。
という感じで、この作品はとことん「17歳」を描いているのだが、それを演じた二宮さんと、そのキャスティングに拍手。
17歳を演じる二宮さんは、いつものことながら「アイドル」のオーラをまとわずその中にいて、
17歳らしい無邪気さと、
大人の一歩手前の精悍さと、
合間に見える危うさと、
そして未熟さ・愚かさとを、
すべて自身の中に混在させていて、その一時期しか出せない雰囲気があって素敵。
台詞回しとか、体のこなしとか、ちょっとまだ未熟だなと思うところもあるが、それも含めて17歳っぽくて良い。
いろんな観点で良い作品だし、映画史に残せる作品だし、そういう作品に出会えた二宮さんの運と、実力と、ポテンシャルには、ただただ感心するのみだ。