ちよの考察

嵐について、映画について、小説について、いろいろ考察するのが好きな私の独り言。

ドラマ「スマイル」

2019/1/13

 

このドラマは正直トラウマがある。

 

(※ネタバレを含みます)

 

 

 

 昔のドラマを今になって見返すことにはまっております。

 

今日は「スマイル」

 

当時は幼くて、ストーリーをあまり理解できないまま、その内容の重さに早々に挫折して観ることをやめてしまった作品。

大人になって見返すと、この脚本は本当にすごい。

現代社会の闇・不条理・偏見をあぶり出してくる。

 

 

 

第一に外国人やハーフの人、在日、その他外見、そして犯罪加害者の家族に対する差別・偏見の問題

ビト、花ちゃん、一馬さんと、みんながそれぞれ偏見に苦しんできた過去を持つ。

だからこそわかり合え、助け合えたんだと、その関係性に少し感動を覚える。

 

同時に、観ている自分たちの中にある差別意識・偏見があぶり出されてくる。

「もし自分が当事者だったら」という観点では、

「なんてこんなひどいことを。彼らはそんな悪人じゃない」

と思うのに、

逆に偏見を持つ人たちの意見も同時にドラマ内で描かれることで、自分たちの中にもそうした考えが居座っていることにありありと気づかされて、そうした人たちの方にむしろ共感してしまう。

だから観ていてつらくなる。

誰もみな、自分の生きている世界がこんなに偏見・差別にまみれた世界だと認めたくないからだろう。苦しくなる。

 

そういう問題提起をする脚本になっていた。

 

 

 

 

第二に裁判員裁判を扱ったこと。

当時様々な意見がある中で始まった新しい制度をいち早く題材とし、その特徴、想定される問題を描いている。

 

もし自分が裁判員だったらどう判断するか、という視点で観てしまうが、これも非常に苦しい。

「じゃあもし被告が釈放されてあなたの近所に住むとなったら歓迎できるんですか?」

「たった3日間で、過去の事件についてもわからないことが多すぎる中で、人を死刑にしてしまっていいんでしょうか?」

「また被告が犯罪を犯したら、自分たちで責任とれるんですか?」

といった裁判員たちの葛藤は、すべてに共感できる。

 

こうした苦しい決断を一般の私たちが行わなければならないという重すぎる事実、それを当時、私たちはどれだけわかっていただろうか?

 

また死刑か否かが「多数決」で決められることの不条理さ

私も当初は裁判員制度はいい制度だと信じていただけに、そのような裁判員制度の問題点について考えさせられるドラマだった。

 

 

 

それから冤罪の問題。

ドラマでは強調されているから、実際の世界と乖離があるかもしれないけど、警察・検察の上層部の都合や自白強要などが、一人の人間の人生を歪めてしまう可能性があること、その不条理さを、私たちはあまり意識していない。

実際自分が当事者になっていないからだろう。

 

 

 

だから、もっと考えないといけない。

今の司法は果たしてどこまで信用できるのか?

どこまで正義なのか?

どこまで客観的事実に基づいて判断なされているか?

そういう点を意識してみていかないといけない。

 

 

よく考えれば、スマイルの10年後くらいに、丁度ドラマ99.9で松本潤はそういう不条理に立ち向かう弁護士役を演じたんだもんね。

これもそういう運命なのかね。

 

 

まあスマイルの最終話は、もう少し事実に即して、丁寧に作ってほしかったかな。

実際は死刑執行日が事前に外に漏れるなんてないし、一人の承認の発言によって再審の結果がひっくり返るとか、そういうこともあんまり現実的じゃないし。

まあハッピーエンドにするには仕方なかったか。せめてあと2話くらいあれば、再審ももうすこしゆっくり描けただろうし、その過程でのビトの心情ももう少し描けたんじゃないか。

(当然一度死刑を受け入れた(つもりになっていた)身だから、そこでもう一度生きる道を選ぶことに葛藤はあるはずだろう)