ナラタージュ(4)~小説との違い~
2018/9/7
小説「ナラタージュ」も読破。
映画とストーリーはだいぶ異なるけど、映画では小説での葉山先生や泉、小野君のキャラクターはそのままに、また小説内の印象的な言葉がそのまま使われていたりして、映画化としては非常によくできた作品であることを改めて実感できた。
(※ネタバレが含まれます)
確かに小説を先に読んだ人からすると、映画では非常に重要なエピソードがごっそり省略されているので、物足りなく感じるのかもしれない。
逆に、映画の後で小説を読むと、そうした省略されたエピソードによって、映画ではわからなかった泉の感情や二人の関係性がよりリアルに浮き上がってきて、楽しめた。
小説では、泉がどうして葉山に惹かれ、依存したのか、という点がクリアになった。
特に泉が自殺しようとしたときのエピソードは印象的。
確かに高校生くらいの時って、自分も何かと不安定で、ちょっとしたきっかけで女の子同士の人間関係ってバランス崩れて難しくて、世間知らずで、衝動的に死にたいと思って、突拍子もなく行動したりする、いわゆる思春期的な特性が強く出るよなーと。
映画でもそうだったが、泉と柚子ちゃんは対照的に描かれていて、一方は悩みを最後まで打ち明けられず、最後に信頼する人にすべてを打ち明けたけれど、結局自ら命を絶ってしまった。
もう一方は死のうとしたその日に偶然葉山先生に会って、自殺しないで済んだ。
そんな小さなファクターが二人を分けた。
葉山先生は泉の性格をよくわかっていて、人間関係の問題や欠席が増えていることにすぐ気づいて気にかけてくれて、泉にとってそうやって自分を気にかけて、理解してくれて、居場所を作ってくれたわけで、泉は葉山先生を頼り、好きになっていったのだろうと思うし、
同時に葉山先生の「この人には自分が必要だ」と思わせる魅力と、"泉だけに"知らせた事実や、"泉だけに"見せた表情や感情が、泉を大きく支配していたんだろう。
小説内では映画以上に二人は二人だけでの時間を多く共有していて、二人がお互いにいかに依存していたかがよく伝わってくる。
泉が急に休んだ葉山を探して街中を探し回るところとか、葉山先生が入院中に妻でも家族でもなく泉を呼ぶところとか。
その関係を、二人は結局「恋とは少し違った」と結論付けたわけだけど、お互いにお互いを好きと思い、相手を思いやって助け合い、愛し合う関係性は、「恋愛」としては片づけられない、もっと深い愛情が見えて、でもそれに名前を付けることができなくて、苦しくなるのだ。
葉山先生が妻と籍を抜いていなかったという事実を打ち明ける場面も、映画とはちょっと印象が違った。
映画では単に言うタイミングを逃していた、という感じで、葉山先生もそれまでに泉の想いにきちんと答えた場面がなかったから、「まあ葉山先生はずるいけど責められないな」という感想だったけど、
小説では、泉に気持ちを抱いているけどそれを押し殺そうとしているしぐさがあったり、「気持ちには応えられない」と伝えていたり、しまいには家に招いて髪を切ってくれだの甘えて、泉からのキスにも思わず応えて…ってのを一通りした後での「実は妻とは続いている」という告白だもんね。
いやさすがにそれは許されないでしょ。
泉が激怒するのも当然だよ…。
なんとずるい大人だこと。
でも、そんなことがあっても、いくら理性的に考えても結局葉山先生を好きだと思う、彼に自分が必要だと確信する気持ちはなくならないところが、二人の関係性の魅力でもあった。
風呂場の場面も印象全然違う。
映画では、気持ちに気づいていながら応えてくれない葉山先生への待ちきれない想いから、意を決したようにしてしたキスだったように見えたが、小説では、キスしたのは「完全に無意識だった」とあって、泉の"魔性の女"感を感じて、少しぞっとした。
小野君と泉との関係も、少し解釈が違った。
映画では葉山先生を諦めたいがために小野君と付き合うことにした、という面が強調されていて、行為の際も泉の心ここにあらず、という描き方だった一方で、小説ではスタート時点は確かに葉山先生を諦めたいという目的があったかもしれないけど、それでも泉は小野君を確かに好きでいたことが描かれていた。
まあ嫉妬からのすれ違いや、「怖い」と感じる場面とか、「一緒に寝たくない」ということが明確に描かれてはいるけれど、それでも小野君という人間を好きでいたことは間違いではないと思った。
だからこそ二人の別れの場面は胸が本当に苦しい。
「葉山先生が泉に何をしてくれったって言うんだ」という小野君の訴えがまさに正論で、だけど泉は葉山先生のところに行きたい、行かなければならないと強く自覚している。
すごく不思議でありつつ、「好き同士だからと言って付き合いがいつでもハッピーとは限らないよね」と見る。
二人の間の明確なすれ違いは、「好き」という気持ちでは乗り越えられなかったのだろう。
小野君が言った「一瞬でも葉山先生より自分のことが好きであった期間があったか」という質問に、泉は答えられなかった。
小野君を好きでいて、幸せでいた時間もあったはずだろう。それでも葉山先生のことを想うとそうは言えなかったという泉には、もう葉山先生しかいなかったのだろう。
こういう恋愛の難しさみたいなところは、こういう年齢になるとしみじみと感じて、人間臭くて、すごく好きな場面である。
最後に、葉山先生と完全に別れるために、泉は葉山先生に抱かれたいと求める。
相手を好きだと思う気持ちが極限に至るとこんな感情になるのだと驚く。
葉山先生の手の動きを自分の体に描かれる地図として覚えこませるように、また同時に自分の中に眠っていた欲情を自覚して、夢中で抱き合う。
「二度と立ち上がれないくらいまで壊して見捨ててほしい」「それができないなら二度と姿を見せないで自分だけ幸せになって」という泉の訴えは切実で、そうでもしないと葉山先生を思い出にすることができない、あきらめることができない、という、本当に切羽詰まった、強い気持ちが胸に刺さった。